とある阿呆の随想録

阿呆の徒然なる日々

人の夢は、儚いのか?

 人の夢と書いて、儚い。

 この一文を読み、筆者が最初に受けた印象はネガティヴなものであった。

 つまり、夢は叶わない、夢など抱かない方が良い、というイメージだ。

 しかし、それは違うということに気が付いた。

 なぜなら、夢は叶っても叶わなくても儚いからだ。

 例えば、人の欲望には際限が無いとはよく言われることだ。

 ある物が欲しくて仕方がなく、やっとそれが手に入る。その時は気持ちが高揚して嬉しいが、しばらくすると何のことは無い、その気持ちは綺麗サッパリ消えさり、また新たな物が欲しくなる。

 それは大きな夢になろうと、同じはずだ。達成した瞬間、その夢は消え去り、新たな夢が出現する。

 では、夢破れることはどうか。新たな夢は出現せず、いつまでもその事を悔やむ。どちらかと言えば筆者はそのタイプだ。

 サッカーの本田圭佑選手は、筆者に重要な示唆を与えてくれた。

 本田選手は小学校の作文に、「プロのサッカー選手になり、ミランに移籍して、日本代表になり、ワールドカップで優勝する」と書いている。

 そのほとんどを実現していることは、日本中が知っての通りだ。
 
 本田選手は、超ポジティブだと思う。どんな逆境も、ピンチも、チャンスだと考える。

 過去の発言。「引退した後何をやろうかと考えて。それは21、22歳くらいの頃から考えてたんですけど選択肢としては色んなことを勉強したし色んな可能性も考えてはみた。笑われるかもしれないですけど政治家で総理大臣になったろうかなとか。」

 この発言を聞いて、本田選手は常に大きな夢、というより目標を設定しているのだと思った。

 最終的なゴールを設定し、全力でそこへ向かう。

 仮にその夢が破れても、つまり、その目標を達成できないと悟ったしても、本田選手は新たな目標を立て、そこへ突っ走るのだろう。

 夢が叶っても同じ事だ。さらに大きな夢を持つ。
 
 結局のところ、夢とは通過点に過ぎないのだ。

 常に大きな夢を持ち、そこに向かうことに意義がある。夢が叶わないことを嘆くことは無意味だ。

 本田選手を見ていると、そう思ったのである。