とある阿呆の随想録

阿呆の徒然なる日々

他人を嫉妬して付け回す人

 以下はフランスの文豪、ヴィクトル・ユゴーの作品、「レ・ミゼラブル」の一文である。

およそ人の行為は、それに関係のない者が一番その機密を知りたがるものである。…なぜあの人はいつも夕方にしかこないんだろう。だれそれさんはなぜ木曜日にはきっと出かけるんだろう。なぜあの人はいつも裏通りばかり歩くんだろう
。なぜあの夫人はいつも家よりずっと手前で馬車からおりるんだろう。なぜあの奥さんは家にたくさんあるのにペーパーを買いにやるんだろう。云々…世にはそういう人がいるものである。彼らはもとより自分には何ら関係のないそれらの謎の鍵を得んがためには、多くの善事をなし得てあまりあるほどの金と時間と労力とを費やす。そしてそれもただいたずらに自分の楽しみのためにするのであって、好奇心をもって好奇心をつぐのうばかりである。彼らは何日間も男や女の後をつけてみたり、街角や木戸口に寒い雨の降る晩数時間立番をしてみたり、小僧に金を握らしたり、辻馬車や従僕を煽てたり、女中を買収したり、門番を取り入れたりする。それもなぜであるか。何の理由もない。ただ見たい知りたい探りたいがためのみである。ただ種々なことを言いふらしてみたいためのみである。そして往々にして、それらの秘密が知られ、それらの不思議が公にされ、それらの謎が白日の光に照らされる時には、災難、決闘、失脚、家庭の没落、生涯の破滅などをきたし、それがまた、何らの利害関係もなく単なる本能から「すべてを発見した」彼らの大なる喜びとなるのである。誠に痛むべきことである。

 つまり、人の秘密を探るためにストーカー行為をする人がおり、人の没落を喜ぶ人たちがいるということだ。

 個人的には、妬み嫉みという感情も、上記の人の行動に関わっているのではないかとも思う。 
 
 次に、ユゴーが友人に対して送った励ましの言葉を紹介したい。

 光り輝くもののまわりには必ず、雑音を放つ黒雲が群がるものです。名声に敵が付きものなのは、光には、まわりに群がる羽虫が付きものなのと同じです。
 敵など、気になさることはありません。あなたの人生に曇りがないのですから、心にも静かさをお持ちなさい。『あいつを苦しめ、あいつを悩ませているのだ』と考える喜びを、敵に与えることなどおやめなさい。楽しく、朗らかにしてください。世の喧騒を低く見て、強く生きてください。

 輝いている人に、嫉妬心を爆発させ、嫌がらせをする人。そんな人はいるものだ。しかし、負けてはいけない。

 というユゴーの激励である。