とある阿呆の随想録

阿呆の徒然なる日々

奇妙な嘘

 無実の人が冤罪に陥る際に、自分が犯人であると嘘をついてしまうことがある。

 一般的に嘘とは、人を騙し、自分を有利にするものと思われがちであるが、そうではない。

 かつて何かの本で読んだ。人は毎日、会話の中で必ずなにかしらの嘘をついている。それは悪意のあるものではなく、潤滑油として必要なものであると。

 そんな嘘もあれば、奇妙な嘘もある。

 僕は、この本のなかでチラリと書かれたあるエピソードにヒドく共感してしまった。

 小学生の男の子が先生に叱られている場面。実は先生は誤解をしていて、もし男の子がそれを説明し、説得すれば、先生の誤解は解けるはずだった。

 しかし、男の子はそれをせず、「奇妙な嘘」をついた。それはむしろ、先生の誤解を認め、自らの罪を白状する嘘だった。つまり、嘘の自白だ。

 なぜ、そんなことをしたのか。先生の誤解を解く、それは先生に事情を説明し、説得する、いわば「対決」である。
男の子は自信がなく、それを避けたのだ。先生の方は、男の子が「自分に不利な嘘」をつくなどとは思わない。

 僕もこういうことがよくある。口下手なので、相手が誤解していてもそのままにしたりする。

 これは良くない事とは思いつつ、中々改善しないのである。