とある阿呆の随想録

阿呆の徒然なる日々

趣味としての勉強

 「勉強」というとなんだか、目的がなければいけないような気がする。良い大学に入るためとか、会社で出世するためとか。

 だから、「趣味は勉強です」と言うのは良いのだろうか、と戸惑う。

 
 たまたま、05/14の毎日新聞を手に取った。投書欄。そこにはこんな題名があった。『「勉強することが趣味」は変?』

 休みの日は、興味のあることを勉強しているという投書人。会社で上司に「休みの日は何をしている」かと聞かれ、上記のように答えると、「えらいね、真面目だね」と言われたという。

 世間では、「勉強する」ということは「真面目なこと」なのだ。趣味ではなく。
 
 「趣味としての勉強」を表す言葉はないか。
 
 無難なのは「読書」かもしれない。教科書(テキスト)を読むのも読書には違いないのだから。


 例えば、食べること、歯磨きや顔を洗うこと、風呂に入ること、トイレで用を足すこと。

 趣味とは言わない。習慣や生理現象。人が行うべき習慣。嫌でもせねばならぬこと。

 勉強というのも、あるいはそうかも知れない。わざわざ「勉強しています」などと言う必要はないのかもしれない。
 
 自分にとって、学ぶ事が当たり前の習慣になれば良いなと思う。「勉強」に見返りを期待するのではなく。

 何かを期待してしまうと、そのうち勉強しなくなるのではないか。見返りを手に入れた時や、手に入らなかった時。

 情熱だと、いつか燃え尽きてしまいそうだ。滔々と流れる水のように、永く着実に、一生学び続けていきたい。漠然とそう思うに至ったのだけれど、「ねえなんで?教養って何の役に立つの?おしえて」と言われると自分もよくわからない。

 「なんでウンコすんの?」と言われても困るのと一緒だ。