とある阿呆の随想録

阿呆の徒然なる日々

 普段、日本のプロ野球は見ず、世界戦だけ見るというニワカだが、メジャーの大谷選手の出場試合を見るのが楽しみで、活躍すればとても嬉しくなる。

 今年はもう大谷選手の試合は見れず、寂しいと同時に来年が楽しみだ。

 大谷選手といえば、高校時代の「目標達成シート」に驚かされた。

 どうやったら強くなれるかの他、「運」の項目があって、挨拶やごみ拾いをする、と書かれているのである。

 つまり、主体的に行動していく。自分が変わる事で、周りを変えていくということだ。

 なぜ、大谷選手はこんな考え方ができたのだろう。親の教育だろうか。彼は読書が趣味と言っている。多くの本を読んできて、それによって形成されたのもあるかも知れない。彼の読書遍歴がとても気になる。

 僕なら、「運」の項目にどう書くだろう。神頼みするとか、カツ丼を食べるとか書くに違いない。

 ところで、超訳 吉田松陰語録ー運命を動かせを読むと、吉田松陰は、神頼みは無益な事である、と書いているそうだ。

 牢獄に繋がれた松陰に、妹は「観音様を拝めばなんとかなる」と言う。松陰は、「幸不幸は自分で決めるもので、観音様に頼むなど無益だ」と返す。また、人のために行動し、学問もできたので、これ以上の幸せはない、とも言っている。

 他人や環境は関係なく、自分自身がどうあるか、どう行動するか、物事をどう捉えていくか。それが大事なのかもしれない。

 日々是悶々。悩み多き毎日を送っている。

 メンタルが弱すぎることはわかっている。

 どうしたらメンタルは強くなるのだろうか。

 思うにそれはその人に生来備わっているものではないのか。

 もしくは、時と共に自然に強くなる。オッサ…もとい、お年を召した方々は、メンタルが強いように思える。いや、図々しい、あるいは声が大きいだけだろうか。

 あるいは、確固たる哲学を自らの中に持つこと。それが1つの方法かもしれない。

あと千人しか残らなくなっても、よし、私は踏みとどまろう!
あと百人しか残らなくなっても、私はなおスラ(ローマの独裁者)に刃向かおう。
十人残ったら、私は十番目の者となろう。
そして、たったひとりしか残らなくなったら、そのひとりこそはこの私だ!

ヴィクトル・ユゴー

勇気をもらえる詩。ユゴー先生はメンタルが半端ない。

近況

 毎日、なにかしら有益な記事を書きたい、と思ってもそう簡単にはいかない。学が無いから、なおさらだ。

 「わかっていること」を書けば良い。背伸びをして書いても伝わらない。書く力 私たちはこうして文章を磨いた (朝日新書)

 ともかく…

 最近は、自分の興味のおもむくままに、図書館で本を借りている。

 白取春彦さんの勉強術の本を読んだからだ。知性だけが武器である――「読む」から始める大人の勉強術
 白取春彦さんといえば、『超訳 ニーチェの言葉』で話題になった人。

 疑問を持つこと。そしてそれをとことん調べる。グーグルやウィキペディアではなく、本を読んで。

 僕は、定期的に自己啓発や勉強法の本を読まないと勉強のモチベーションが上がらないようなのである。

 それはそうとして…

 韓国が海上自衛隊旭日旗を掲揚するなと言ってきたニュースを見た。

 そもそも日の丸や旭日旗について、僕はまったく知らないので、本を読んで調べてみようと思った。

 旭日旗といえば、ハーケンクロイツを連想したので、そのことも調べたい。あとドイツの歴史。

 最後に、名言をひとつ。

真の無知とは、知識の欠如ではない。学習の拒絶である。
 
 カール・ポパー(哲学者)

奇妙な嘘

 無実の人が冤罪に陥る際に、自分が犯人であると嘘をついてしまうことがある。

 一般的に嘘とは、人を騙し、自分を有利にするものと思われがちであるが、そうではない。

 かつて何かの本で読んだ。人は毎日、会話の中で必ずなにかしらの嘘をついている。それは悪意のあるものではなく、潤滑油として必要なものであると。

 そんな嘘もあれば、奇妙な嘘もある。

 僕は、この本のなかでチラリと書かれたあるエピソードにヒドく共感してしまった。

 小学生の男の子が先生に叱られている場面。実は先生は誤解をしていて、もし男の子がそれを説明し、説得すれば、先生の誤解は解けるはずだった。

 しかし、男の子はそれをせず、「奇妙な嘘」をついた。それはむしろ、先生の誤解を認め、自らの罪を白状する嘘だった。つまり、嘘の自白だ。

 なぜ、そんなことをしたのか。先生の誤解を解く、それは先生に事情を説明し、説得する、いわば「対決」である。
男の子は自信がなく、それを避けたのだ。先生の方は、男の子が「自分に不利な嘘」をつくなどとは思わない。

 僕もこういうことがよくある。口下手なので、相手が誤解していてもそのままにしたりする。

 これは良くない事とは思いつつ、中々改善しないのである。